【自然エネ】 3月2日「国際エネルギー・セミナー」(福島市飯坂町)など
外務省主催、3月2日(福島市飯坂町)申込みました。
国際エネルギー・セミナー「被災地復興へ向けたスマートコミュニティ提案」行ってきます!!
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/event/index.html
Iいろいろ教えていただきました。
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技術至上主義的な感じ(経産省的)なパネラーかなとも思いましたが、デンマークのレオ氏は、ISEPの研究員も「インタビューしたいと思っていた」ような話を聞きたいような方だそうです。
また、IRENAや国際航業さんの話も聴いてみたいですね。
国際航業さんは、メガソーラーなんかもやっている会社で、東日本事業本部の人ということもあり、被災地にメガソーラーをみたいな話も聴けるのでは?
もし菅原さん行かれるようでしたら、簡単にでも内容おしえてもらえるとうれしいです!
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さて、
3月15日「一関(IEL)広報eco」一関市内全戸配布の表紙の記事を仕上げました。
ここまで来るのに、2月に入ってから、朝方3時に寝る生活を5回も(泣)
「東日本大震災から一年」
『地球が壊れた!』なかなか止まらない大きな揺れにそんなことを思った。「逃げよう!」と声をかけられ我に帰り、泣いている人たちを励まし、動けないでいる人を支えて外に出た。雪が舞う中でも、不思議に寒さは感じなかった。
『何が起こっているのか?』様子が知りたくてカーラジオのスィッチを入れた。「大きな津波が来ます」とくり返している。内陸・一関にいてさえ、大変なことが起こったのだと分かった。
【当たり前のようにそこにある】
井戸水を使い、太陽熱でお湯を沸かし、となり近所で風呂を分け合った。灯りはろうそく、暖房は薪。情報はラジオから、電池が活躍した。それも慣れた頃、電気が通じるようになり、次第に生活が戻って来た。『蛇口をひねると水が出る』そんなふうに、ガソリンや電気も当たり前のようにそこにある。
停電の間『節約して』『工夫して』『分け合って』家族や地域の絆を深めたぬくもりのある生活は、大変だったが懐かしい。電気・ガソリンが途絶えると日常が一変した。これらを地域で生み出すことが出来るなら、世界は変わるのに。
【自然エネルギー自給はもうすぐ】
太陽の恵みを光や熱に、そして風や水からエネルギーとして取り出し、工夫して使う社会が見えて来る。「電気や熱を、自然エネルギーで自給する社会が来ると思いますか?」という問いかけは、震災後には「それはいつできるのか?」に変わっている。あらゆるところで『自然エネルギー自給』『燃料自給』の考え方が紹介される
ようになった。
「一関・自然エネルギー100%自立」の目標が、おぼろげながら見えてきた。その見えてきた未来は、国内や世界に目をやると、すでに“可能性を信じた者”によって実現されつつある。
【メッセージ】
生きる上で無くてはならない水・食べ物・暖かさ・・・手に入らないと感じたときの不安を体験した。となり近所で助け合い、乗り切った絆は、生活が生産とつながっている安心の絆でもあった。本当の豊かさを生み出す社会が必要なのだと震災は教えてくれた。震災でも太陽は途絶えなかった。自然エネルギーを地域で活用する社会の可能性を信じてみよう。
国際エネルギー・セミナー「被災地復興へ向けたスマートコミュニティ提案」行ってきます!!
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/event/index.html
Iいろいろ教えていただきました。
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技術至上主義的な感じ(経産省的)なパネラーかなとも思いましたが、デンマークのレオ氏は、ISEPの研究員も「インタビューしたいと思っていた」ような話を聞きたいような方だそうです。
また、IRENAや国際航業さんの話も聴いてみたいですね。
国際航業さんは、メガソーラーなんかもやっている会社で、東日本事業本部の人ということもあり、被災地にメガソーラーをみたいな話も聴けるのでは?
もし菅原さん行かれるようでしたら、簡単にでも内容おしえてもらえるとうれしいです!
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さて、
3月15日「一関(IEL)広報eco」一関市内全戸配布の表紙の記事を仕上げました。
ここまで来るのに、2月に入ってから、朝方3時に寝る生活を5回も(泣)
「東日本大震災から一年」
『地球が壊れた!』なかなか止まらない大きな揺れにそんなことを思った。「逃げよう!」と声をかけられ我に帰り、泣いている人たちを励まし、動けないでいる人を支えて外に出た。雪が舞う中でも、不思議に寒さは感じなかった。
『何が起こっているのか?』様子が知りたくてカーラジオのスィッチを入れた。「大きな津波が来ます」とくり返している。内陸・一関にいてさえ、大変なことが起こったのだと分かった。
【当たり前のようにそこにある】
井戸水を使い、太陽熱でお湯を沸かし、となり近所で風呂を分け合った。灯りはろうそく、暖房は薪。情報はラジオから、電池が活躍した。それも慣れた頃、電気が通じるようになり、次第に生活が戻って来た。『蛇口をひねると水が出る』そんなふうに、ガソリンや電気も当たり前のようにそこにある。
停電の間『節約して』『工夫して』『分け合って』家族や地域の絆を深めたぬくもりのある生活は、大変だったが懐かしい。電気・ガソリンが途絶えると日常が一変した。これらを地域で生み出すことが出来るなら、世界は変わるのに。
【自然エネルギー自給はもうすぐ】
太陽の恵みを光や熱に、そして風や水からエネルギーとして取り出し、工夫して使う社会が見えて来る。「電気や熱を、自然エネルギーで自給する社会が来ると思いますか?」という問いかけは、震災後には「それはいつできるのか?」に変わっている。あらゆるところで『自然エネルギー自給』『燃料自給』の考え方が紹介される
ようになった。
「一関・自然エネルギー100%自立」の目標が、おぼろげながら見えてきた。その見えてきた未来は、国内や世界に目をやると、すでに“可能性を信じた者”によって実現されつつある。
【メッセージ】
生きる上で無くてはならない水・食べ物・暖かさ・・・手に入らないと感じたときの不安を体験した。となり近所で助け合い、乗り切った絆は、生活が生産とつながっている安心の絆でもあった。本当の豊かさを生み出す社会が必要なのだと震災は教えてくれた。震災でも太陽は途絶えなかった。自然エネルギーを地域で活用する社会の可能性を信じてみよう。